東北の震災被災地を訪れてみて

2014年7月4日
2016年3月30日
gappacker
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東北の被災地の今

昨日の記事の中で、「記事を眠らせない」って書いたにも関わらず、なかなか書けなかったことがある。5月にヒッチハイクで東北を旅してきたのだが、東北地方を旅していると、どうしても震災の傷跡をいたるところで感じた。

親類や友人を無くした方、実家が流されてしまった方、避難区域のため住んだ土地を棄てなければならなかった方、葬儀屋さんとして、多くの死に立ち会わなければならなかった方。

そして僕は被災地を訪れてみることにした。

出会った人達は皆、それぞれが何らかの痛みを抱えていて、その一方で諦めというか、悟りというか、うまく言い表すことができない感情が見え、それが物悲しくもあり、とても力強く感じたりもして、それらを出来事をどのように書いていいのかが中々まとまらないまま、時間だけが経ってしまっていた。
このまま記事を眠らせてしまうのは忍びないので、ここで書き留めておきたい。

釜石へ

僕が最初に訪れた被災地は釜石だった。
乗せてもらった方に花巻まで送ってもらい、先に時刻表を確認すると、釜石線は夜8時台の釜石行きが最終列車。
車通りも少なく、夜間に釜石方面に行く車は圧倒的に少ないことがわかっていたため、すぐに電車で釜石に向かいました。

2時間ほどして釜石に着いたのは確か23時前。
駅前にポツリとある一件のコンビ二に入り、店員さんから話を聞く。
コンビ二内のカウンターの裏側の棚に入っている薄い線を指差し、「ここはここまで津波が来ました。」
そういって20分ほどいろんな話を聞かせていただいた。

「宿はないですよ。どこも建設員の方達で埋まっていて、ボランティアや観光で来てくれた人達も車中泊してたりするんですよ」
そう残念そうに言った。

最悪、野宿を想定し薄暗い街を歩きながら、Twitterで友人から聞いた一軒のホテルへ電話してみるが埋まっているとのこと。
その後、飛び込んだホテルがたまたま一部屋だけ空いていたため、そこに泊まることにした。
前日で連休が終わっていたこともあり、運良く空いていたようだ。値段は普段泊まってるところの2泊から3泊分だが仕方ない。

翌朝、朝食を食べながら食堂のオバちゃんと話をした。
このホテルは川に面しているのだが、川は氾濫し、ホテルのロビーもぐちゃぐちゃだったそうだ。
宿泊施設は復興にとっても重要な拠点となるため、震災後は急ピッチで掃除し、業務を再開したのだそう。
このオバちゃんは、仲の良かった友人を亡くしたそうで『人は戻ってこないからねぇ。』と寂しそうにつぶやいた後、笑顔でゆで卵をくれた。

僕はオバちゃんに背を向けてテーブルに座り、そのゆで卵を食べた。
なんて言うべきか、何も言わないべきかさえ、わからなかった。

オバちゃんにお礼を言って、部屋に戻り支度をしてホテルを出る。
釜石を歩いていると被害の後はまだところどころに残っていた。

中でも一番酷かったのが、この鉄筋がむき出しになったままの本屋さん。
津波にあった釜石の本屋

津波にあった釜石の本屋

釜石から三陸鉄道の隣の駅の平田まで歩いた。
途中では堤防を作っていたり、どこも工事しているところばかり。
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さらに歩いていると高台であるにも関わらず、津波到達地点という杭が打ってあったりする。現地に行くと、自分が思っていた以上に波が高かったことがわかる。
津波到達地点

その後、鉄の博物館というところに寄って釜石の歴史を学んだ。
南部鉄器で有名であることからもわかる通り、釜石は鉄で栄えた街なのだ。

三陸鉄道の平田駅まで歩いたところで時刻表を見たのだが、次の列車は1時間半後。
バックパック背負ったまま、散々歩いた上で、ここで1時間半ロスするのは痛い。
交通量はそこまで多くないが、僕は駄目元でヒッチハイクを始めた。

しばらくしてオジさんの車が止まってくれた。
なんでも太平洋セメントで働いていた人らしい。

被災地を見に来たという話をしたら、被害のあった場所を寄り道しながら案内してくれた。瓦礫は片付いているが、ところどころにその傷跡が残っている。

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途中で瓦礫が集まっているゴミ処理場のような場所も、プレハブが並んだ仮設住宅も見えた。

何もない分譲地のような場所に見えるが、こういうところが住宅地だったのだそうだ。
よく見るとコンクリートの基礎だけが残っているのがわかる。

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元々、町役場だった建物も全てのガラスは割れていて、未だに瓦礫を整理している作業の途中であった。
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高台にある駅の売店が流されてしまったこと。
震災の1年前にできたトンネルから津波が逆流してきて本来であれば、被災する場所ではないのに被災してしまった場所。
過去の教訓を活かし、高台に移住していたため死亡者の出なかった地域。
住宅地で商店もあったりしたらしいけど、今や何もない無の空間。

淡々といろいろな話をしてくれるオジさんに対し、言葉は出ず、ただただ涙が溢れ、鼻水が出て、それでも自分の感情なんて被災にあわれた方々に比べれば大したことない。なんとか堪えようとするのだけど、止められない。

大船渡まで乗せて乗せてもらう中、僕は途中からは言葉を発することすらできなかった。

被害が大きく、線路が流されてしまった大船渡ー気仙沼間はの区間は線路跡地にアスファルトが敷き詰められ、そこをBRTというバスが走る。
駅で切符を買って、改札を抜け、ホームからバスに乗り、バスは線路跡地を走る。
そして僕はそのまま気仙沼に向かった。
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BRTで移動中は写真を撮っていない。
土地勘がないので、目にした景色が具体的にどこだったのかがわからないのだが、ところどころで、激しくダメージの残る建物や校舎などが目についた。

気仙沼ではあまりゆっくりしていない。
ゆっくりしようかとも思ったのだが、安い宿がないようなのだ。

僕は消化不良の感情を抱えながら、電車で一関に向かった。
別日程で訪れた、石巻については後日改めて書こうと思う。

最後に

正直、何を書いてよいのかわからなかった。今も何を書くべきかわからない。
ただ、被災地の復興はまだまだだし、まだ行ってない人も機会があれば訪れ、現地でお金を使ってもらいたいと思う。
一度、訪れればそれは他所の話ではなく、一度訪れたことのあるあの場所の話になると思うので。

ヒッチハイクマニュアル

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