鎌倉と北鎌倉を繋ぐ巨福呂坂切通し
鎌倉は南を海に東西北を山に囲まれた地形になるため、昔の人たちが鎌倉に出入りするために山を切り開いた交通路があります。それらは鎌倉七口(かまくらななくち)と呼ばれています。
鎌倉七口
今回紹介するのは鎌倉と北鎌倉を繋ぐ重要な交通路であった巨福呂坂切通しです。
場所はこの辺り。
新道
現在は整備された洞門(トンネル)がある巨福呂坂。
近隣の人のみならず、観光客にとっても重要な交通路として利用されています。
鎌倉側からみたところ。
脇にあった巨福呂坂洞門のプレート。
このトンネルは天面が吹き抜けになっていて、開放感があるとともに光が指すため、トンネル特有の薄暗さがありません。
北鎌倉側に抜けると脇に石碑がありました。
この落石防護施設は、鎌倉七切通しの一つ国指定史跡「巨福呂坂」の近くにあることにちなんで巨福呂坂洞門と名付けられました。
切通しを歩いている実感が損なわれないようアーチ状の梁、大きな六角形の天井開口部、石積み壁などの工夫をしました。
なるほど、どおりで普通のトンネルと趣が違うわけです。
このように、土地本来もつ意味や位置づけを踏まえた開発のアプローチはいいですよね。
逆側(南側)には『巨福呂坂送水管路ずい道』の入り口がありました。
なぜか「横須賀市水道局」の名が。
北鎌倉側から見た巨福呂坂洞門。
トンネルを抜けた先も、木々のトンネルが続いています。
巨福呂坂切通し旧道
本来の切通しに入っていく道は地図で紹介したように鶴岡八幡宮の西側の道を入って行きます。
今は普通の住宅街。
先程紹介した『巨福呂坂送水管路ずい道』の入り口がこちらにもあります。
さらに進むと左手に青梅聖天社の鳥居が見えます。
案内板
うっそうと茂った階段を登って行きます。
登ったところには社が2つありました。
もうひとつ
さらに進むと左手に石碑群。
右手に民家があり、これ以上進むと人の家の裏庭を通るような感じだったため、ここで断念。
まとめ
極楽寺坂切通しと同じく切通しについて書かれた史跡看板などはありませんでした。
2つの切通しの共通点として、自動車道として整備され、昔の名残がない点にあります。
鎌倉七口も残りは朝比奈切通しのみとなりますので近日中に訪問したいと思います。
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