キッチンのシンクで水が流れたりしている音で目が覚めた。
それは銃声や爆撃音で目が覚めるのでもなければ、世の中のためになる要素の欠片すら見い出せない選挙カーの騒音で睡眠が中断されるのとは異なり、極めてシンプルで心地良い目覚め方だと思った。
僕が目を覚ましたとき、トラックの運転手であるタカユキさんはすでに朝食を済ませ、出かける準備をしていた。
「ゆっくりしていってくださいね。」
出かける準備をしながらそう言った後に、お父さんを紹介された。
昨晩はすでに寝ていてお会いしていなかったのだ。
お父さんは突然の来訪者に明らかに戸惑ってはいたが、挨拶してみると悪い人でないのはすぐに理解できた。
挨拶するとすぐにトラックまでタカユキさんを送って行くといい、出かけて行った。
本当はお母さんが送っていく話だったようだが、僕と二人きりになるのは気まずかったらしく、それを察した二人が受け入れるカタチとなったようだった。
顔を洗いに行くと日焼けして熱を持っていた顔は少し腫れていた。
今日も一日移動になることを考えると、まだまだ悪化しそうであり、あまり良い兆候とは言えなかった。
お母さんはとても面倒見がよく、すでに朝食の準備ができていた。
僕はお母さんに促されるように少し広めのベランダに置いてあるテーブルとチェアに腰掛け鹿児島方面を望みながら朝食をいただくことになった。
高層階から見渡す景色は雲がかかっていたが、名前の知らない遠くの山まで見渡せた。
地上を見ると路面は濡れているが、幸いなことに歩いている人で傘をさしている人はいない。
このまま持ちこたえてくれば、なんとかなりそうだ。
ヒッチハイクでの移動に雨は大敵である。
一度濡れてしまえば車に乗せてくれる人など皆無である。
彼らにそんな義理はないのだから当然である。
そんなわけで雨が降り出したら基本的には雨宿りするしかない。
たとえ濡れていなくても雨宿りできるような位置で車を拾うのは困難である。
ゆっくりと朝食を食べ終わる頃、お父さんが帰って来た。
「今日はどうします?出るとき送って行きますよ。」
人付き合いが苦手そうなお父さんが開口一番そう言った。
できることなら必要以上に他人に関わりたくないタイプの人間でありそうなお父さんがそう言ってくれたのには、タカユキさんの口添えがあったことは間違いなかった。
帰路で何度かリハーサル済みの言葉であったその言葉に、
「太宰府天満宮はここからどれくらいあるんですか?」
僕は純粋な疑問を口にした。
太宰府天満宮は2011のGWにヒッチハイクで博多に来た時に行ったことがある。
僕は2012のGWにヒッチハイクで四国に行って以来、集印(御朱印を集めること)を始めた。
御朱印は神社などに行った際にもらう証明書のようなものだが、自分の場合はどこでもいいというわけではなく、思い入れのある気に入った場所のみ、集めていくことにしていた。
太宰府天満宮は前回訪れた際に、なかなか気に入っていたので、せっかくなのでご朱印をもらって行こうと思ったのだ。
お父さんによると太宰府天満宮はそれほど遠くないとのことで送って行ってもらえることになった。
用意をしているとお母さんが、おいなりさんと梅干し、そして大分のおいしい水を用意してくれた。
至れり尽くせりとはこういうことを言うのだと思った。
荷造りしてお父さんに太宰府天満宮まで送ってもらう。
お父さんのお仕事は貸し切りバスの運転手をしていて、その日は丁度お休みだったとか。
15分か20分ほどお父さんが気まずさと負担を感じない程度に会話をした。
着くと同時に、お父さんは見終わったら迎えにきてくれると言った。
そのまま近くのPAまで乗せてってくれるというのだ。
電話番号をお聞きして束の間のお別れ。
この旅で初めての観光らしく太宰府天満宮を楽しみます。
日本の寺社仏閣というのは侘び寂びがあってやっぱりシブいですね。
庇の反り具合とか絶妙ですよね。萠えます。
で、御朱印をいただきます。
となりは富士山の頂上にある浅間大社でいただいた御朱印です。
少しゆっくりした後、お父さんに電話をかけ、売店で買ったラムネを飲みながら待機。
ほどなくしてお父さんに来ていただき、外から出入りできる基山PAまで送ってもらいます。
タカユキさんに拾っていただいたこと、泊めていただいたこと、ご馳走になったこと、送っていただいたこと
全てに丁寧にお礼を言ってお別れします。
この旅で一番お世話になり、本当に親切にしていただきました。
この恩は旅人に返します。(マイレージ、かなり貯まってますね。。^^;)
11:00少し前についた基山PAでは30分ほど待ったところで1台の車に停まってもらいます。
上品でとても話しやすい方で不動産デベロッパーの会社の取締役の方でした。
停まってくれた理由は2つあって一つは大学生の息子が北海道からヒッチハイクしているとのことと、もう一つが意外だったのですが「身なりがしっかりしてる。」とのことでした。
僕はハーフパンツだったので「ハーフパンツですよ?」と驚いて聞き直したところ、ダナーのブーツとグレゴリーのバックパックなど、身につけているもので判断したそうです。
なんでも山登りや釣りなどもされるそうで、それらのウェアや道具にも関心があるためでした。
屋久島に行くと言ったら登るルートなどの情報を教えてくれました。(後ほど実際にこのルートで行きました。)
独身だというと女性のタイプを聞かれ、うちの会社でも独り身でいい子いるんだけどなぁ。
とやんわりと縁談のような話になります。
いい歳して独身で彼女がいないというと、そのような話になるのは、ありがたいというかなんというか。。
この方は行く予定ではなかった熊本北SAまで乗せてっていただきました。
威圧感のない誠実な方という印象で、部下からも信頼されていそうな、上司にいたら働きやすそうな人だと思いました。
連絡先を教えていただき、帰りにもし寄れたら、ご飯くらいご馳走してくれるとのこと。
気持ちのよい人だったので、屋久島での報告など、もう少し話してみたいとは思ったものの、帰りも予定のたてられないヒッチハイクです。
流れになってしまうことを伝え、お礼を言ってお別れします。
北熊本SAについたのはお昼の12時を回っていたので、朝持たされたおいなりさんをいただきます。
大分のおいしい水を飲みながらいただきました。
ただただ、おいしかったです。
北熊本ではかなり苦戦して3時間ほど車を拾えないでいました。
そんな時ゆっくり目の前を通過した車にボードを見せると窓があき、話すと乗せて行ってもらえることに。
乗せていただいた方は杖を持っていて左足の膝の悪い方でした。
詳細は聞きませんでしたが、仕事中に事故に遭って左膝を怪我してしまい、現在療養中とのことでした。
この日は車で天草のほうまでドライブに行った帰りだったそうです。
毎日リハビリに励んでるとのことでした。
この方は出水という地区に帰るらしく、当初は宮原SAまで乗せてってもらう予定だったのですが、先ほどSAで散々時間を費やしたこともあって、した道の出水市の国道3号沿いで降ろしてもらうことにしました。
途中、教科書でしか知らなかった水俣市を通ります。
昔は結構、栄えていたそうです。
もう少しで日が沈む時間帯に八代海を右手に見ながら車は国道3号線を南下して行きます。
大きめの駐車場のコンビニで降ろしてもらい、再度ヒッチハイク開始。
交通量も少なくないし、気持ちのよい気温だったので余裕かましてましたが全然停まってもらえません。
よくあることではありますがすぐにこんな感じになります。
途中でコンビニの店員がペットボトルのお茶を差し入れてくれ、「頑張って下さい。」と言ってくれます。
店の前で何時間も車を停めようとしてるのを見てて、いたたまれなくなったのでしょうか。
しばらくして戻って来てくれた車の女の子に話しかけられます。
どこまで行くのかと聞かれ、「鹿児島に行きたいので、少しでも南下したい」
そう言うと「病院に戻らないといけないので駅までだったら行けたんですけど。。」
申し訳なさそうに言われたので、明るくお礼を言って別れます。
さらに30分くらいした後に、ジャニーズ系の青年が停まってくれました。
停まり方が、拾うことを前提にした停まり方だったので違和感がありました。
後で話を聞いてみると、先ほどの声をかけてくれた女の子と職場が一緒で拾ってあげるようにお願いされたとのこと。
彼らは介護施設で働いているそうです。
昔からお爺ちゃん子だった彼は頑固なお爺ちゃんがデイサービスから帰った後に楽しそうにしていたこと。
そしてお爺ちゃんが亡くなった時に、涙を流す介護職員の姿を見て、介護と言う人との関わり方に興味を持ち、この道を選んだとか。
これまで何人かの介護従事者と話したのですが
必ずと言って耳にするのが、やりがいはあるけれど、きつく、給与面が低いということです。
その一方で介護事業者が不正に受給を受けているというような話も耳にしたことがあります。
これだけ同じことを聞くのですから、恐らくその構造に何らかの欠陥があるのでしょう。
世界が未だ経験したことの無い超高齢化社会に付き進んで行く今の日本において早急に対策を打たねばならない課題の一つであることが伺えます。
彼には川内の高速乗り場付近で降ろしてもらいました。
街灯以外何も無い場所でした。
ここは拾えなかったらキツいとこだな。
時折通る車以外、虫の鳴き声しか音のない場所でした。
街灯の下でボードを持って待つこと10分程、思いの外、早く車が止まってくれました。
4つの窓を全てを全開の明るいお兄さん。
なんでも少しこだわりのあるホテル勤務だそうです。
ここのホテルだったら働きたいって思えるホテルで働き始め、そこで出会った方と結婚。
奥さんは出産のために実家に帰っていて、実家に行って来た帰りだったらしい。
ホテルの話や夫婦の出会いなどのノロケ話を聞いていたのですが、高速を走っているのに4つの窓全てが前回なので、叫ぶように会話をしました。
真夏の真っ昼間ならともかく、少し肌寒い中でのそのスタイルは完全に気持ちのよいバカだと思いました。
彼に屋久島にフェリーで行くつもりだと伝え、適当にゲストハウスを見つけようと思うと言うと、屋久島に行くんじゃなければ、家に泊まればいいと思ったんですけど、ちょっと港から距離があるんですよね。
バカ親切である。
会って数分で思ったが、多分この人は最高の愛されキャラだと思う。
そして宿をiPhoneで調べたら、車での宿探しまで一緒にしてくれる。
フェリー乗り場の近くにある「GREEN GUEST HOUSE」前まで乗っけてってもらいチェックインは23時までだったのだけど、その30分前に到着。
「ちょっとベッド開いてるか確認してきていいですか?」
ベッドは空いていたので車に荷物を取りに行き、お礼を言ってお別れし、無事にチェックイン。
部屋に入ると数人と軽い会話をして、北海道からヒッチハイクで下って来た若い男の子、トモとコンビニに一緒にいき、宿のロビーで話した。
さすがに疲労も蓄積していたので翌朝8:30に出る屋久島行きのフェリーに乗る気にはなれず、ゆっくり起きてトモと一緒に鹿児島を一日観光することにした。
この日、顔はさらに腫れて真っ赤になっていて、屋久島行きが不安のまま、眠りについた。
三日目も長い長い一日だった。
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