屋久島ヒッチハイク記四日目。桜島と鹿児島観光。

2012年9月21日
2016年3月30日
gappacker
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旅先ではよくあるドミトリーの朝。
早朝から続く、誰かの荷造りの音と、旅立ちの音、そして別れの挨拶。

そんな音を意識の端っこに捉えながらも、自分を無理に起こすことはせず、寝続ける贅沢を味わった。
前日の夜に知り合ったトモと、今日はゆっくり起きて桜島と市内観光をしようとなんとなく決めていた。
10時くらいに起きるまで、こんなにゆっくりとした朝を向かえるのは随分と久しぶりのような気がした。(実際は異なるが。。。)

トモは大学4年の最後の休みを利用して札幌からヒッチハイクで鹿児島まで下って来た。
僕がヒッチハイクで鹿児島まで来たことを知り、馴れ馴れしくもなく、よそよそしくもない、絶妙な距離感で話しかけてきた。
これは経験でどうにかできる部分ではなく、彼天性のものだと思う。
明るくまっすぐな青年なのできっとみんなに好かれる人間だろう。
見た目は、映画「誰も知らない」でカンヌ映画祭の最優秀主演男優賞を受賞した柳楽優弥君に似ていると思った。

ベッドでダラダラしながらも、前日の夜、チェクアウトの時間を確認するのを忘れていたのと、もう一泊することにしたことを伝えるため、受付へ行かなくてはならないことは分かっていた。
顔を洗っていると、同じように起きていたけれど、ダラダラしていたトモもベッドから出て来た。

トモと受付で、もう一泊分の料金1,500円を払うと、出かける準備をし、自転車を借りることにした。

俺のマシンは、黒いボディのところどころ錆があり、シートがありえないくらいに変色しているママチャリ。
名付けるまでもなく、フレームにあったBig Waveの文字。
珍士はビッグウェーブ号を手に入れた。

一方、トモはタイヤの小さい紫色ベースの派手めな自転車を手に入れた。
確か「第二ち○ち○丸」と名付けていたように思う。

そんなわけで2台のチャリンコは鹿児島の灰交じりの風を切りながら(低速で)走り出す。
ビッグウェーブ号には隠し機能があり、ブレーキを軽く握ると、けたたましい警告音を立ててくれる。
これにより歩行者が驚いて避けて行きますので、人にぶつかる心配がありません。

マジで、メンテナンスが必要だと思いました。。 ^^;

まずは腹ごしらえだ。

朝っぱらから肉を提案してくる青年トモと町中を走りながら、双方合意のマクドナルドに入ることにする。
さすがに朝から肉は喰いたくないお年頃である。

さっさと朝食を済ませ、桜島に行くためのフェリー乗り場を目指す。
街を走っていて気づいたのだが、鹿児島県民は銅像が好きらしい。

いたるところに銅像が立っている。
そりゃぁ偉人を多く輩出したという自負があるのかもしれないが、さすがにちょっと銅像多すぎないだろうか?
市の中心地を少し走っただけでも20体くらいはゆうにありそうである。
大久保利光、西郷隆盛、島津家の方々、東郷平八郎、ザビエル、などなど。

ほどなく、フェリー乗り場を見つけ、僕らは桜島に向かうことに。
自転車を乗せる代金を含め、片道250円。

ちなみにこの日も桜島は絶賛噴火中!

桜島内にあるセンターの情報によると桜島は2012年になってからすでに800回以上噴火してるそうで、爆発を伴うものでも、すでに700回越えだとか。
つまりほぼ毎日数回づつ噴火しているということになります。マヂか。。^^;

黒い灰を鹿児島中にまき散らしていて、車が通ると路面の灰は舞い上がるし、風が吹けば目が痛くなる。
停めてある車のフロントガラスは灰で真っ黒である。洗濯物は外に干せない。
鹿児島ライフ、結構大変じゃないか。。

サッカー日本代表の遠藤は確か桜島の出身だった筈。
改めてスゴいと思いました。

フェリーで10〜15分くらい(確か)し島に渡るとチャリンコの僕らは島に1番で上陸します。
で、とりあえず桜島の歴史がわかるセンターのような建物に行き、しばし展示を閲覧。
桜島はホントに島だったのが噴火により陸続きになったんですね。フムフム。

そんな桜島のオアシス、足湯コーナーです。
ここは気持ち良くて一時間くらいいましたね。
足湯

その後、海岸沿いの遊歩道をビッグウェーブ号で走って行きます。

ところどころ溶岩を感じさせる岩たちは独特な雰囲気を感じました。
少し登った展望台のようなところで小休憩し、人のいないゆるい下り坂をチャリンコで滑走します。

ひゃっほーい。(トモ撮影)

僕らは少し走った後、フェリーで鹿児島に戻ります。
地図上で気になった少し離れたエリアを行ってみることにします。
興味が湧かなかったこともあり有料のところはパス。

薩摩切子の販売所をみます。

そしてその裏にある工場も見学。
薩摩切子工場見学

大人の工場見学、思いのほか面白いです。
その他、近くにあった建物などを見ながら市街地へ戻ります。

異人館。
異人館

途中でアウトドアショップの好日山荘に付き合ってもらいます。
明日は屋久島に渡り、九州最高峰の宮浦岳を登る予定だったのでアルファ米などの食料を購入します。
数日分の食料を買って、その後100円ショップによって携行食によさそうなものを物色したりします。

宿に戻り、明日の支度を開始。
ベルリンから来ていたドイツ人と話をしていると屋久島の話になり、地図を見せながら自分の行こうとしているルートを説明していると他の宿泊客も参戦。
途中で彼らが盛り上がってる合間にシャワー浴びたり、洗濯物したりと準備を進めます。
ジャーナリズム系の独立出版関係に携わっているらしいドイツ人の彼は京都で生物学かなんかの学会に参加しているの彼女(ドイツ人)と落ち合ってから屋久島に来るらしい。
話を聞いているとロシアを横断していたり、数人のチームでワゴンを借りてアフリカを移動していたりといろいろと動いている人のようだ。

明日は8:30のフェリーで4時間かけて屋久島へ行き、淀川登山口より登山を開始し、淀川小屋で1泊する予定。
島に渡ってからは時間的にあまり予定がなかったので、今夜中にしっかりと準備しておかないと山で泣くことになります。

飯を食ってなかったことを思い出し、慌てて近くの吉野屋で牛丼を書き込み、コンビニで2Lの水を2本買い込みます。
水は重いので買うのを迷ったけれど、フェリーが着いてから登山口に向かうバスまでの時間が10分しかないため、水を買ってハイドレーション(ザックからチューブを出して水分補給するやつ)の準備をしている時間はなく、水場の多い屋久島と言っても不安が残ります。
そのため重いのを我慢し、前日に2Lを飲み水用のプラティパスに、1Lを調理用のプラティパスに移し、残りはベッドの脇に置いて夜、喉が渇いた時に飲みました。

そんなこんなでパッキングの準備だけ済ませ、1回の座敷のようなところに行くと、トモは既に宴会の一部に。
疲れていたので少しの間だけその場に参加。

途中で外に出ていた、ドイツ人の彼のウェブを見せてもらうと、壁に砲弾の後の残ったボスニアの写真や、道ばたに寝転がるパンクの写真などが見れた。
文章は見ていないが、そこになんらかの哲学があるであろうことはすぐに理解できた。

12時を回った頃、俺は疲れていたのでベッドに行くことにした。
明日は7時に起きて、フェリーに乗り、バスに乗り遅れること無く移動、そして登山開始である。

ベッドで明日の登山に向けてモレがないか考えながら、断続的に目の覚める浅い眠りとの間を行き来した。

続く。
屋久島ヒッチハイク記五日目。ついに世界遺産屋久島へ。

ヒッチハイクマニュアル

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