屋久島ヒッチハイク記二日目。ひたすら移動で九州入り。

2012年9月19日
2016年3月30日
gappacker
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富士川SAのベンチで横になったまま日付は変わって水曜日。

寝るにも寝られない状態でツイッターとか見ながら少ししてたら
ヴァイタルエリアに人が進入してきた気配を感じ、身体を起こすとオジサンが立っている。

オ「名古屋のどこまで行くん?」

珍「あ、ほんとはもっと西までいきたいんですけど」

オ「神戸まで行くけど」

珍「乗せてってもらえますか?」

オ「えーよ」

交渉成立!!

時刻は深夜1時を少し回ったところ。
こんな時間にこの規模のSAで車を拾えるとは思わなかった。

これで朝方5時くらいには神戸近郊に到着し、数時間仮眠して午前中から動けば明日には九州は入れるじゃないか。
そんな計算を働かせながらオジサンのワゴンRに乗り込む。

オジサンはカタギの人とは少し違う空気感を出していた。
仕事を聞くと熱海の料亭で働く料理人だそう。
昔マネーの虎にでていた生活倉庫の堀之内さん(?)を少し悪そうにした感じ。
しかも多分もうすぐ60近いというのに黒いTシャツに金色のペイントが施してあるタイプのシャツを着ている。
なんでも地元の神戸のほうへ荷物を取りに戻るのだとか。

荷物 = ブツ
白い粉の入ったスーツケースと、チャカが脳裏に浮かんだ。
※ 料理人です。

車はSAを出て走りだす。
見た目とは裏腹に思っていたよりも慎重でゆっくりな走りだしの65km/h。

そしてSAを出て30分後、60km/h。
遅くなっとるやないか!!

ちょ、おとーちゃん、そろそろ本気だしてやー。
そう心の中で思いながらいつまでも本気だしてくれないオジサンに丹誠込めて丁寧にオブラートに包んだ言葉をお届けする。

珍「あのぉ、60kmして出てませんけど大丈夫ですかね?」

オ「大丈夫、大丈夫!」

珍「ここ東名ですけど。。」

オ「みんな抜いてくから大丈夫」

珍「・・・」

大丈夫じゃねぇ!!
どう考えても東名で60kmって迷惑だろ。

しかし、自分はあくまで乗せてもらっている身。

珍「した道とあんまり変わらないですけど、やっぱり信号無い分楽なんですかねぇ?」
オ「あぁ、うん。そう。」
珍「・・・」

なんどか最低限のスピードを出すように遠回しで促すも効果なし。
しかも、このオジサンかなりのヘビースモーカー。
吸い終わって10分も経たないうちに次のタバコに火をつける。

完全にミスった。。。

途中なんども理由をつけて降ろしてもらおうか葛藤する。
深夜での乗換は絶望的なのと、我慢すれば移動は出来るという事実に、脳内シーソーはガッチャン、ガッチャン激しく揺れながら時間だけが過ぎて行く。

結局、8時過ぎに西宮名塩SAで降ろしてもらうまで7時間のスロードライブ。
この旅で一番の苦行とも言えるヒッチハイクとなったのでした。
途中で数回意識が飛び、何を話したかもあまり覚えてません。。

SAで少し仮眠するつもりだったのだけどすでに気持ちのよい朝。
とりあえず無性に腹が立って減っていたので朝食にする。

朝得セット500円

おっと、エビが入っているじゃないか。
甲殻類アレルギー(血液検査するまで気づかなかった)の僕は丁寧にエビを釣り上げ、お新香の皿へ移します。
なかなかの漁獲高です。はい。

朝食を食べて水を飲んでゆっくりし、トイレに向かう。
便所で鏡に映る顔を見てビックリ。

日焼けで顔が真っ赤っです。
普段そこまで日に当たらないのに長時間炎天下のなかでのヒッチハイク。
顔を触ると皮膚が熱を持っているのがわかります。
しかもタバコの煙で目もショボショボしてます。

ヤバいな。。

ところが、そんなことも言ってられません。
なんといっても今回の目的地は屋久島。
行程的にはまだ半分進んだかどうかも怪しいところ。
今はただ、屋久島を目指すのみ。

そんなわけで、すでにヘトヘトだったのですが、次の車を探します。
しかし、中々停まってくれません。

1時間ほど経って停まってくれたのが
接着剤などを扱う外資系機械メーカーで得意先を回っていた方でした。

外資系ということもあり、英語の話や外国人とのコミニュケーションの話になりました。
振り返ってみると、「親善試合で1-0で無難に勝利。」みたいな車内だった気がします。   

100kmちょっと西へ移動し、丁度お昼にさしかかった頃、福石SAで降ろしてもらおうとしたものの、あまり規模が大きくない。
少し先の備前で降りるということだったので、した道の国道2号沿いの大きな駐車場のあるコンビニで降ろしてもらうことにした。

コンビニでトイレにいってすぐにヒッチハイク再開。
しばらくしてコンビニから出てくる車に何気なく指を向けたところ窓が開き「乗ってく?」と。

乗せてくれたのはシンゴ西成というラッパーに少し似ている土木関係の仕事をされているお兄さんで、仕事を休んで病院に行って来た帰りだったらしい。
一見イカツイけど、話すととてもいい人なのでした。
喋るのはあまり得意ではなさそうだけれど、受け答えの感じがとても気持ちがいい。
同意する時は「そうねぇっ」と顎が前にスライドするような動きをするクセがなんだか可愛らしかったです。

結局彼には岡山駅近くの国道2号沿いのコンビニで降ろしてもらいました。

で、すぐにヒッチハイク再開。
ほどなくして若いカップルの車が戻ってくる。

乗せてもらうと若い彼氏と大人しい彼女。
「彼女がヒッチハイクの人だって気づいて戻って来たんですよ。彼女に感謝してください。」
なんだか微笑ましいカップルだった。
乗せてもらったのは代車だった。
なんでも数日前に車を運転していた際に、前から外れたタイヤが飛んで来て事故に巻き込まれたらしい。
その日は丁度、手続きなど事故の後処理などを行って来た帰りだったそうだ。

無口な彼女のほうはずっとぬいぐるみのような小さい人形を持っていて独特の空気感が漂っていた。
また高速に乗ろうか迷っていると伝えると彼はインター近くのガソリンスタンドで降ろしてくれた。

ここは厳しいなぁ。降りた瞬間そう思える中々手強そうな場所。
片道3車線の左端がそのまま高速に乗るような道路で、加速していて後方にも車が連なることが多いため、物理的に止まれないことが多そう。
そんな悪条件の中で、周辺で最もドライバーから認識されそうな場所を探す。
後はタイミングの問題なので待つしか無い。
ボードに広島と書いて目立つ(と思われる場所と角度)で待つ。

30分ほど経って、やっぱりここは難しいかなぁ。
そう思っていると車が目の前に停まったので助手席の窓に近づく。
オ「どこまで行くん?」
珍「西のほうへ行きたいんで、どこかのSAで降ろしてもらえると助かるんですが。」
オ「ほな乗りぃ」

オ「お兄さん、怖いけん、なかなか停まってくれんじゃろ?」
珍「えっ、そうですか?」

そう答えながら、どう考えても乗せてくれた方のほうが元ヤンオーラを隠しきれていないことが可笑しかった。

話を聞いていると、乗せてくれた方は産廃業者の方であった。
推測の粋ではあるが、おそらく地元ではそこそこ名の知れた従業員100名規模の会社ではないだろうか。
しかも、社長ではないものの、経営にかなり近いポジションにいるらしく、役員クラスであることは容易に想像できた。
そして、産廃、リサイクル業界の話を少し聞かせて貰った。

こういう時の会話は思わぬ発見が潜んでいたりするので気が抜けない。
その人にとっての何気ない一言や、取るに足らない業界の慣習などは時として眩いほどの光を放ち、目の前に降ってくる。
しかし、光を放っているその瞬間を、海馬であれ、三半規管であれ、どこかに刻みつけないと、その言葉はまるで無かったかのようにあっというまに消え去ってしまう。

脳も身体も少し疲れてはいたが、大事な部分は聞き逃さぬよう注意を払いながら会話を続けた。

東京にいる息子さんが新卒で就職のため、お祝いをかねて近々東京にも来るなど、親の想いなどもいろいろと聞かせていただいた。
話を聞きながら、親孝行のひとつも出来ていない自分を不甲斐なく感じた。

そんなことを頭の片隅で考えていたら、突如お好み焼きを食べたかと問われた。

残念ながら通り過ぎているだけで食べていないと答えると
「広島来てお好み食べな、いけんじゃろ。」
そう言われ、降ろしてくれるという話になっていた沼田PAでお好み焼きを食べるように指示された。
どうやらそこのお好み焼きは有名らしい。

16:30過ぎ。
沼田PAで降ろしてもらい、常務取締役(もらった名刺に記載)の指示どおりお好み焼きを食べることにした。

美味い。
SAを回るだけでも、その土地の美味いものが食べられるのは風情はないがとても便利ではある。

お好み食べて少し落ち着いてからヒッチハイクを再開。
15分ほどして10m程の距離で目が合った初老の男性に山口と書いたボードを軽く動かしてサインを送ると、「乗ってくか?」
と聞かれたのでお願いする。

オジサンと呼ぶには少し違和感があるが、オジイさんと呼ぶには若々しさの残るその男性を、僕は間を取って勝手にオジィさんと呼ぶことにする。
そのオジィさんはリサイクルショップをやっていて仕入れのオークション帰りだったそう。
4トントラックの後ろにどんなものが載っているのか気になったので聞いてみたのだが、めぼしい物がなかったのか、そっけなく家具がほとんどだという答えが返って来た。そして付加するように「今は家電はダメだねぇ、薄型テレビなんて量販店は安いし、値崩れが早すぎて手が出せない。」
いろんな話をしたけれど、なんどか繰り返すように「若いうちは沢山、いろんな経験をしたほうがいい。」そう言っていたのが印象的だった。

さらに話をしていると、昔は建築関係の会社を経営していたらしいのだが、急な拡大で資金繰りが上手くいかなくなり、会社を畳んだそうだ。
そして彼は「会社は大きければ良いってもんじゃない。ある程度の規模になれば経営者の生活はそれほど変わらない。」身をもって辿り着いた結論を押し付けるでもなく、そっと言葉を置くように呟いた。

彼の兄弟もまた会社を経営しているらしく、そちらも昔はユニクロと並べ評される程、山口では有名だったそうだ。
途中で米軍のオスプレー配備問題で話題沸騰中の岩国を通り越し、下松SAで降ろしてもらう。

とても人当たりの柔らかいオジィさんだった。

下松SAではボードになんて書こうか迷ったのだが、とりあえず九州と書くことにした。

暫くすると三木道三をキレイに整えた感じのお兄さんが近寄って来て話しかけられた。
2001年にバスタブに浸かってラブソングを歌っていたあのレゲエシンガーである。
黒い上下のスウェットで下はハーフパンツ。読めない筆記体のような装飾がはいっているような服装であった。

話しかけられた時に近くに車が無かったのだけど、歩いて行った先にあったのは大きな長距離トラック。
おっ、今回初のトラック。

「した道で行くからちょっと時間かかるけどいい?」
そういうとトラックは動きだした。

話してみるととても気持ちのよい熱い男で歳も近く結構いろんな話をした。
どこまで乗せて行けばいいかという話をした際に、疲れたのでシャワーを浴びたいからシャワーのある漫画喫茶とかがあればいいんですけどね。
そう言うと

「うちの実家来ます?親父に聞いてみてからですけど。」

「えっ?それは。。」

そういうと彼は実家に電話し出した。
親父さんの電話での反応がイマイチだったのか、電話で急に不機嫌になり。
電話を切った後、申し訳なさそうに謝られた。

いやいや、謝るところじゃないっしょ。
そう思いながらも彼の熱さにちょっと感激していると
「親父は心が無いけん。」
そういって残念がった。

その後、トラックの運転手という職業にまつわる話をいろいろと聞かせて貰った。
彼は会社に所属していて、定期便という九州と中国地方のきまった区間内を行ったり来たりする長距離ドライバーで、家にはほとんど帰らずトラックで生活しているらしい。シャワーなどはどうするのかと言えば、ガソリンスタンドにシャワーのマークがあるところがあり、トラックの運転手は給油をしている間シャワーを使えるシステムが存在しているらしいのだ。

さらにはトラックのカスタムパーツ専門店の話、車幅灯の色や配置パターンで知り合いのトラックを見分ける話など楽しく話を聞いていると彼の母親から電話があり、会話をしだす。
どうやら僕を泊めるという方向で話がすすんでるようだった。

電話を切ると
「ババアが大丈夫言うけん。大丈夫たい。」
しかもお母さんは
「九州人の心意気見せてやるたい」って言ってたらしい。。

え、まじで?
いきなり「田舎に泊まろう」じゃないか。w

トラックでは家まで帰れないので、トラックを交通量の少ない広い通りに停めて、彼の母親と待ち合わせ、車で拾ってもらうことに。
しばらくしてお母さんが車で現れ、拾ってもらう。

着いた先はマンションの駐車場。
実は田舎の一軒家を想像していたので予想とは違っていたが、お邪魔してからのもてなし方がハンパじゃなかった。
鳥栖の近くのご実家に着いた時は、すでに0時をまわっていたにも関わらず、ご飯の準備と、お風呂の準備、そして寝床の準備もできていた。

さらに細かいところまでいろいろと気を使ってくれる。
2日目の最後は最高のおもてなしを受けた夜だった。

疲れはマックスに達していて、僕は泥のように眠りについた。

続く。

屋久島ヒッチハイク記三日目。そして鹿児島に到着。

ヒッチハイクマニュアル

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