[ヒッチハイク旅 上越編] 新潟、金沢、高崎を巡る旅の記録

2011年8月13日
2016年12月26日
gappacker
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2011年の夏、ヒッチハイクで新潟、金沢、高崎を回った旅の記録をまとめました。

由比ヶ浜海岸よりスタート

お盆休みに始めたヒッチハイク。今回もスタートは由比ヶ浜海岸。
左手の親指上げながら右手でアサラト振りながら待つこと10分程、感じの良さそうなお兄さん達が止まってくれました。
目的もなくドライブしてたそうで、国道一号に出やすい所までって話だったんだけど、話してたら盛り上がってしまい、結局、高速の乗り場の手前まで乗せて貰いました。

高速の乗り場の手前で「環八」と書いて、少し立っているとバイクで旅してる子に話しかけられ談笑していると、間髪入れずに女のコ2人組に「おにーさんヒッチハイクしてるの?」「乗ってく?」と声をかけてもらい、乗せてもらうことに。明るくて気持ちのいい美人姉妹に、「おにーさん、頭オカシイでしょ?」とお褒めの言葉を頂き、楽しく話しながらあっという間に都内へ。

スタンドで降ろしてもらい、次の車を待つこと15分程。
クラクションが鳴ったので振り返ると、少し悪そうなバンが「おにーちゃん、暑いでしょ、乗りなよ。」と声をかけてもらい車に乗り込む。
基本的に乗せてもらった人にはあきらかに年下だとわかっていても、敬語で接している。

彼は こちらが年上だと気づいて少しバツが悪そうでありながら、最初に「にーちゃん」と呼びかけてしまったテンションを保っていた。
会話をしてる途中で彼はビジネスをやってると言い出したので、ちょっと話を聞いてると、どうやらアムウェイ(ネットワークビジネス)の話らしい。その瞬間から、携帯を出すのも、連絡先を交換するのも止めようと思いながら会話を進める。所々で夢の話や「ビジネス」の話に持っていきそうになるのをなんとかコントロールしつつ、サッカーという共通の話題に持ち込む。会話自体がサッカーでいう相手にボールを回させるような試合展開。途中、環八が渋滞していたので、危険な時間帯が来るのを覚悟しながらも、なんとか無失点で切り抜ける。途中でいろんな繋がりがあるので、女のコを紹介できますよ。的な緩いハニートラップも華麗にかわす。

我ながらアウェイにて見事な試合展開だったと思う。

関越自動車道の乗り場まであと少しという所で、降ろしてもらう。
最後に控えめの「興味があったら連絡して」という誘いを丁寧に流しながら、キチンとお礼を言ってお別れする。

降ろして貰ったポイントがあまり良くないと直感的に判断できたので、ポイントを探し徒歩で移動する。

500m程歩いたところでスタンドを見つけ、そこに入る車の列の為にスピードが落ちているポイントがあったので、そこで次の車を拾うことに決める。

右手でアサラト振って遊びながら待つこと20分程、静かに車が目の前に止まったので話しかけると、関越に乗るとの事。群馬から東京に遊びに来た帰りという事で、乗せて貰う。
お仕事が半導体関係という事で、そちらの話や震災の影響などについての話をする。
旅の話にも興味を持ってもらえたので、その辺の話もしているとあっという間に上里SAに。

乗せて貰って時間を共有する以上、自分も楽しく過ごしたいし、相手にも楽しんで頂きたい。(^-^)

撮影と握手、お礼をいい、お別れ。

次の目的地「新潟」と書こうとして「潟」という字を書けない事に気づき、軽いショックを受けながらも次の車を探す。

少し暗くなりかけ、難しい時間帯になってきたので、作戦を変えようかと思っていた。
その時、クラクションを鳴らされ、振り返ると業務用軽ワゴンのおじさんがいた。
「新潟のちょっと先まで行くけど、どうせ1人だからね。」
そう言って、乗せて貰えることに。

このおじさんには途中でラーメンも奢って貰ったのだけど、おそらくかなりの口下手であり、業務用軽ワゴン車特有の走行音と、耳があまり良くないこともあり、会話が全然盛り上がらなかった。
こうなると乗せてもらってるほうも結構辛く、途中ウトウトしてしまった。
今回の反省要因。

結局、このおじさんは新潟駅の近くまで送ってくれた。

一日目は駅から少し離れた宿で宿泊することに。

二日目

前日、宿に着いてからも中々寝つけず、少し遅めの朝。
宿を出ようとすると、あいにくの小雨。

海水浴場から近いので、残念だ。
本降りになっても困るので、海には向かわず、足早に市街地のほうへ向けて歩き出す。

近くに旧小澤邸という昔ながらの立派な長屋があるらしいので、それを見に行く。
建物はとても立派であり、ディテールに遊びがあったり、豪華な素材をふんだんに使用していたりと、なかなか面白い。

受付のお姉さんに新潟の見所と何を食べればいいか、オススメを聞いたのが、見る場所は出てこなくて、食べ物は加島屋の海鮮ドンブリとB級グルメの『イタリアン』をオススメされた。
加島屋は行ったのだけど、一時間待ちということで、あえなく断念。

そのままイタリアンを食べに万代バスセンターに向かう。
イタリアンは焼きそばにミートソースが乗った文字通りのB級グルメだった。

新潟は広くて、歩いてるだけであっと言う間に時間と体力を消耗してしまう。
何を見て良いのかわからないまま、次の目的地に移動する事になり、結局、新潟は旧小澤邸とイタリアンしか印象に残っていない。

次の目的地である金沢へ

新潟近辺は高速道路の乗り場が多く、ルート決めが難しい。

その辺にいたアクティブそうな40代のオジさんを捕まえて話しかける。
こういう時はアクティブなオヤジに限る。
因みにオシャレなお店を探す時は、若くセンスのよさそうな子に話しかける。

「すいません。車運転されますか?」
「ヒッチハイクで旅をしていて、車を拾いたいんですけど、ここから金沢方面に行くとしたら、どういうルートで行かれます?」

新潟中央という乗り場から乗る事が多いと思うという回答を参考に、そちらに向かう車の多そうな幹線道路を調べ、徒歩で移動する。
地元鎌倉の長谷駅の100円ショップで購入したお子様用スケッチブックに、同じく100円ショップで購入したマッキーで「中央」と書いて待つこと15分位。

女の子の運転するカップル車が止まってくれる。一回通り過ぎて戻ってきてくれた車だ。
なんでも長岡の実家に帰るところらしい。
高速にも乗るということで、黒埼PAで降ろしてもらうことに。

乗せてくれた山田さんとアリスちゃんは仲のいいカップルで、楽しくあっという間に着いてしまった。
お礼と握手、挨拶をしてお別れ。短い間だったけど、良い時間を過ごせた。

黒埼では金沢と書いて待っていたのだけど、2時間経っても、なかなか車がつかまらない。

経験上、交通量があるのに一時間を経っても車が止まらない時は、戦略上の問題がある。
日が暮れるのも時間の問題であり、車の数も徐々に減っていく中、「野宿」の二文字が脳裏をよぎる。

途中「長岡」の文字を書いて使い分けて見たりもしたけど、効果なし。

ヤバいかも。

これは仕掛けるしかない。
これまでは基本的に戦略練って待ちの姿勢だったのだが、このままじゃマズい。
できるだけ野宿は避けたい。

とりあえず車のナンバーをスクリーニングしようと場所を移動してすぐ、神戸ナンバーが目に飛び込んでくる。
前を通り過ぎようと思ったら丁度、ご夫婦が車に乗り込もうとしたので、とりあえず、話しかけてみる。

「すいません」
「ヒッチハイクで旅してるんですが、もし良ければ途中まで乗せていただけませんか?」

突然のことなので、ビックリされたと思う。しかし、割とサラリと了解していただいた。
後から、何で了解したのかわからんと言っていたけども、とにかく助かりました。

ご夫妻は娘さんの柔道の大会を応援しに行った帰りということで、お疲れのところを乗せていただいた。
おにぎりも頂きました。

突然の無理なお願いでしたが、本当に助かりました。
金沢近辺はサービスエリアがないため、通過した後の徳光PAで降ろしてもらうことに。

こちらは外に対しても開かれているPAなので、下道に降りて車を拾おうという考え。
着いた直後、建物の中に入ると、片手に持っていたスケッチブックを目にしたオジさんが「金沢行くんけ?」と話しかけてきてくれて、「ちょっと待っといて。」と言われて金沢まで乗せて行ってもらうことに。

結局、ゲストハウスの目の前まで送って頂き、23時には宿着という思っていた以上に順調に到着しました。
同室の方と挨拶と世間話をして就寝。二日目が終わりました。

ヒッチハイク旅三日目。

二日目の夜は同室の方と話したりしていて、1時位には寝た。
割とゆっくり寝れたのだけど、疲れもあって遅めのスタート。
金沢は見るべきものが多い気がしていたので、この日は観光に時間を費やすことにした。

まずは宿の近くにある東茶屋エリア。
いわゆる、これぞ金沢といった街並みを感じさせてくれる一帯で
そんなに規模は大きくないものの、雰囲気が素晴らしい。

写真を撮ったりプラプラと散策しながらそのまま適当に歩き
コンビニでガリガリ君を食べたり、途中で公園の水道を頭から水を被って暑さを和らげながら兼六園へ。

この日は無料開放日だったのでタダで入場。
日本の庭師の仕事を楽しみながら、伝統工芸館にも入る。
こちらは有料であったが金沢の工芸、そして文化力の高さに改めて驚く。
やはり金沢はブランド力あります。

21世紀美術館へ

その後、今をときめく建築家ユニットSANAAの設計した21世紀美術館を見学する。
正直に言うと、彼らを取り巻く環境とそれに対するメディアの反応、そしてそれを模倣するかのような流れはあまり好きになれない。
そして、彼らを象徴するような白い無機質な居住空間は生活そのものを置き去りにしてしまっているようにも感じてしまう。

建築は内部で起こる活動をもって、建物として完成するものだと思う。
住居であれば、そこに住む人の生活。そして、商業施設であれば経済活動。
今回の場合は美術館なので作品を引き立て、それを鑑賞してもらうことにあるのではない。

あのようなプランが作品を魅せる美術館として適しているのかは疑問なんだけど、建築自体を美術品だと捉えると合点がいく。
モナリザを観にルーブル美術館に行く人がいるように、21世紀美術館を見るために金沢に行く人が増えることは確かだからだ。

スター建築家ユニットの設計による美術館はお盆休みということもあり、混んでいた。
アートを評論するという技術を持ちあわせていないので、展示の内容については割愛。
同時にやっていた二つの展示に目を通し外に出ると何やら大きな音が聴こえる。

通りに出るとお祭りをやっている。
様々なグループが華やかな衣装に身を包み、踊りながら掛け声を出して、行進していく。

そんなパフォーマンスを見ながら歩道を歩き109方面へ。
そう、金沢には109があるのだ。(中には入ってないけど)
この辺りは少し栄えたエリアのようだ。

さらに西南の方へ足をのばし、西茶屋のほうも覗いてみたのだが、こちらはがっかりな感じ。
建物の棟には料亭などが入り、小綺麗なのだが、どこか物足りない。
まるで染み付いた文化を漂白剤で落としてしまったかのような印象を受ける。
小綺麗すぎる一角は周辺環境に馴染むことなく、見事に浮いていて違和感の固まりとなっていた。

少し離れていたので、無駄足だったけれど、感動を得るためには仕方のないことだと受け入れる。
無駄にでも動かなければ見つけられないものがある。感じられないことがある。

空腹を満たそうと美味しいものを探そうとするが、ことごとく休みか準備中。
結局、ツーリストインフォで聞いた109裏の歴史ある洋食屋でオムライスをいただくことにした。

武家屋敷通りを北上中、少しこだわりのありそうな古本屋を見つけ、飛び込む。
内装の雰囲気や展示の仕方など「本を知っている人」がやっている感じがした。

前から読みたいと思っていた「誰のためのデザイン」を800円で購入。
カバーに少し痛みがあるということで安かったのだが、ハードカバー本は持ち歩かず、バラしてスキャン、iPadで読むので全く問題無し。
レジで「良いお店ですね。」と言うと、もう一店舗あるという。

109の近くにアパレル系のお店が多い通りがあったのだが、見学時間の限られる観光地を優先して後回しにしてあったエリアがある。
どうやらそちらにも店舗があるらしく、そちらにはデザインやアートの本を中心に扱ってるとのこと。
キチンとした買い付けを行っているのがわかったので期待が膨らむ。
後で行くことを決めて、バス通り沿いを北上しながら金沢駅の方へ向かう。

駅に近づくと大きな通りにホテルやオフィスビルなどの大きな建築物が増え、
比較的新しく整備されたエリアであることがわかる。

金沢は歴史的な街並みや工芸品などの文化、海産物など強みが多いこともあり、駅やバスターミナルの整備を進めることで環境立県しようとしている意図が見受けられる。

駅の周りをフラついてから先ほどの古本屋さんに戻る。
中々面白そうな本が揃っていた。何も買わなかったものの、車だったら結構買ってしまっていたかもしれない。

その後はスタバでフラペチーノを片手にiPhoneを充電しながらiPadの地図とにらめっこ。
翌日のヒッチハイクの戦略を練る。

高速での移動はジャンクションなどで方向が変わるため、降りるSAの戦略を間違えると痛い目にあう。

ある程度戦略を固めた後は宿に戻ると満室(7人)となっており、軽い挨拶から自然と会話になる。

共通の知人がいる人だったので思いのほか会話が盛り上がる。
肩の日焼けを癒すため、水風呂に入りに近くの銭湯へ。

戻ってくると先ほどはいなかった人もいてさらに会話が弾む。
ゲストハウスの出会いも面白いなぁと改めて感じながら就寝。

四日目

休みが五日間しかないため、今日中には名古屋辺りについていたい。
名古屋まで着けば、東名の東京方面に向かう車は少なくない筈だ。

そのため、長距離移動を行う必要がある。
軽めの観光をして、早めにヒッチハイクをスタートすることにした。

10時のチェックアウトと同時に宿を出て500mほど徒歩で市場まで向かう。
商店街を冷やかしながら、たこわさやホタルイカなどの試食をいただく。

滞在したエリアで移動する際には交通機関の利用を制限しているわけではないんだけど、徒歩移動による偶然の発見や自由度を重視すると必然的に歩く量が増える。
この日は長時間の移動とバックパックを背負っての移動となるため、市場前から1.5kmほど先の幹線道路近くのお寺までバスで移動することにした。

忍者寺

目的地のお寺は妙立寺。
別名「忍者寺」と言われていて、
中には沢山の隠し階段や隠し部屋など、入り組んでいて複雑な間取りの建築である。
そのため、実際の忍者とは関係ないのだが忍者寺と呼ばれるようになったとか。

ガイドさんの案内で、45分くらいお寺の中を回るのだが、これはなかなか面白い。
当時は江戸幕府により3階建て以上の建物の建設が認められていなかった。
そのため、外観は2階建ての普通のお寺にしか見えないのだが
内部は4階建て7層にもなっていて、隠し階段や通路、落とし穴など仕掛けが満載であった。
迷路のような建築である。
このお寺は前田家との関係が深く、その出城のような意味合いだったらしい。
そのため、井戸にはお城まで続く非難経路があるという言い伝えもあるとか。

それなりに満足しお寺を出ると、小雨が降り出して来て嫌な空模様に。

とりあえず幹線道路沿いの何となく考えていたポイントへ徒歩で移動する。
寂びれた商店街のアーケード屋根の下でバックパックを濡れない位置に置き
この日のヒッチハイクを開始。

先ほどのお寺で一緒だった家族が徒歩でこちらのほうに向かって来て、ヒッチハイクしているのに気づいてビックリしていた。

15分くらいして一台の車が目の前に止まる。
女性3人。若いお母さんと娘2人である。
恐らくお母さんは元ヤン(失礼?)と18歳の元気な娘さんと14歳の少し控えめっぽい妹さん。
さっき通りがかり面白そうだったから、と戻って来てくれたそう。

車にのってすぐ笹寿司をいただく。

仲の良さそうな親子だった。
娘さんよりお母さんのほうが歳が近いんだなぁ。と内心で思いながら
楽しい空気感の中に入れてもらい、高速の乗り場近くで降ろしてもらう。

降りるとすぐにヒッチハイクを再開する。
10分もしないで1人の男性がまるで迎えに来てくれたかのようにスムーズに止まってくれた。
今までにない感じの真面目そうな人である。

話してみると観光関係のお仕事のようで
各地方の旅行会社やバス会社と石川県へのバスツアーを提案、交渉したりしているらしい。

走り出して10分程すると雨が強くなってくる。
乗せてもらっていて助かった。
分岐するジャンクション前の最初のSA、小矢部川SAで降ろしてもらうことにした。
着いた時は雨が本降りとなっていた。

このSAはこの先、新潟方面に北上するの車と名古屋方面に南下する車に別れる。
当然、南下する車をつかまえる戦略だったのだが
これが今回の旅、最大の困難を伴う致命的な選択ミスだった。

SAについてすぐ話かけられた。
「何処行くの?」
「名古屋方面行きたいんですよね。」
「あー、新潟方面だわー、頑張ってね。」
「ありがとうございます。」

で、ボードに名古屋って書いていたら雨足が弱まって来た。
時間はすでに3時になっていた。
早めに移動したかったので雨を凌げ、ドライバーからボードが見えやすい位置で立ってまつことに。

しかし、1時間経っても止まってくれる気配がない。
戦略ミスだったかもしれないと、途中でボードを岐阜に変えたりしてみるも効果なし。

確かに富山ナンバーが多い。
名古屋と岐阜ナンバーは見かけるがあまり多くはない。
それ以外は100台に1,2台くらいだろう。

時間はどんどん過ぎて行く。
3時間経っても誰も止まってくれない。

名古屋ナンバーのカップルを見つけて話かけるも断られる。
ビビってる感じの断り方だったのを見て、乗せてくれた方の懐の深さを再認識する。

どんどん暗くなって行く中、ナンバーを確認しながらSA内を歩き回る。
その時、30分ほど前に声をかけたお兄さんから「まだ、見つからない?」と声をかけていただいた。

「見つからないですねぇ」
「じゃあ、一人だし急いでないから乗ってきます?」
「え、でも方角違うんじゃ?」
「あー福井の実家に帰ってて、いつもいろんなルートで埼玉に帰るんでいいですよ。」

「助かります。」
いや、マジで助かりました。
今度こそ、SAで寝るのかと覚悟してたもんで。

で、乗っけてもらい話しをしていたのだけど
別に名古屋に行く必要もないことに気づいてしまった。
東京方面に帰るための中継地としての名古屋だったワケで。

「埼玉までの途中だったらどこでもいいですよ。」
と言われたものの、すぐに日帰りでいける埼玉で降ろしてもらってはつまらない。

そして、そんなとき思いついたのが「高崎」。
なぜ高崎が出て来たのかというと
地元から渋谷、新宿方面に向かう時に良く乗る湘南新宿ラインという電車があり、その電車の終点が高崎。
地名は身近なんだけど、どんなところだか、気になる場所。

すぐにググってみると、アントニン・レーモンドという建築家の作品がある。
実はアントニン・レーモンドは鎌倉の近代美術館で数年前に企画展を見ていて、生で作品を観たいと思っていた。

これは高崎で決まりだな。

ってことで高崎に近い藤岡PAという場所で降ろしてもらう事に。
藤岡PAはそのまま一般道に出られるので、下道で車を拾えばいい。

途中、何カ所かSAで休みながら
藤岡PAに着いたのは午前3:30過ぎ。

見事に困った時間である。
御礼とお別れを言ってPAを出る。

周りはラブホテルだらけでまともな施設がない。
健康ランドが12km程先にあるようだけど歩いたら1時間以上かかるのでパス。
少し歩いたら、車のパーツ屋さんがあり、深夜でも車がいっぱい止まっている場所がある。
近づいてみるとどうやら2階が深夜も営業しているアミューズメントパークらしい。
中に入り、便所で汗拭きシートでリフレッシュ、下着を換える。

なんだかんだで外に出たらすでに4時過ぎ。
もう少ししたら明るくなるのでそれまで外で座っていることにする。
しかし若者が出て来たので「健康ランドのほうに行かないか?」と聞くと真逆らしい。

仕方ないのでまた座っている。
するとまた若者が出て来たので同じく「健康ランドのほうに行かないか?」と聞くとやはり真逆らしい。

ひょっとしたら健康ランドのあるほうはエリアが違うのかも知れない。
そして、漫画喫茶がそんなに遠くないところにあるという話を聞く。
ただし、歩いたらそこそこあるらしい。
疲れたのでその辺で寝ようかと思ってると話すと漫画喫茶までなら乗っけて行ってくれるという。
いい人だ。

お言葉に甘え、漫画喫茶に乗せて行ってもらい、シャワーを浴びて寝る。
タフな一日だった。

最終日は高崎を観光

漫画喫茶についてシャワーを浴びて、横になる。
なんだかんだで漫画が読みたくなったので、
読んでみたかったガンツ数冊をブースにもって戻り眠くなるまで読みながら眠りにつく。

12時過ぎに起きる。
やはり満喫ではあまりゆっくり休めない。

外に出ると快晴。
近くにある片道2車線の国道沿いのコンビニ前でヒッチハイク開始。
わりと交通量があるのですぐに止まってもらえるかと思ったが、意外と時間がかかる。

しばらくすると徒歩で歩いて来たグラマラスなお姉さんに声をかけられる。
「ヒッチハイクしてるの?」「どこまでいくの?」
「高崎駅のほうへ行きたいんです」
「いいよ。乗っけてってあげる。車があっちのパチンコ屋さんにあるの。」
どうやらパチンコをやってて、コンビニにお金をおろしに来たらしい。

通りを渡ったパチンコ屋の駐車場で車の前で待つように言われる。
席を確保していたのだろうか、店に入って数分で出て来た。
ペットボトルのお茶をいただく。
照り返しの厳しい暑い日だったので助かる。

15分程走ってもらい駅のロータリーで降ろしてもらう。
駅でコインロッカーに荷物を預け、地図を確認、空腹に耐えかねロッテリアへ。

高崎観音へ行こうかと思っていたのだが、駅からは少し離れている。
車をつかまえたりしていたら、きっと時間がなくなってしまうだろう。
まずは徒歩で駅から近い高崎市美術館を経由して群馬音楽センターへ向かう事にした。
高崎駅美術館ではディック・ブルーナの展示もやっている。
閉館時間を聞いて足早に群馬音楽センターへ向かう。

建築は日が落ちる前に見たい。早足で10分くらい歩くと到着。
敷地内にある広場のような場所の水道で頭から水をかぶる。
最高に気持ちいい。

写真を撮りながら外周を1週する。
正面にまわり中へ、受付で名前を記帳し、センター内を見学する。
途中で一度、電気を消されてしまったので受付に戻り、再び点けてもらうなどするも
ゆっくり館内を体感する。

建築は写真や模型でどんなに想像力を働かせても実際に体感しないと得られないものがある。
それは気候であったり、気温であったり風景や光や音などが生み出す空間が持つ空気の重さのようなものである。

空間から空間へ移動する時の光や温度、そして音の変化。
建築を体感する楽しみはここにあると言ってもいい。

建築を見ていると時折、瞬間的にフラッシュバックのようなものが起きる。
そのシルエットと歩きながら見た時の構図や空気感が重なったときに
過去に見た記憶が時空を超えて蘇ってくる。

今回の場合、照りつける太陽の下、建物の外観を横からギザギザの屋根を見たときに
メキシコでみたキャンデラの教会が浮かんで来た。
それは「太陽のせい」かも知れない。

そして正面から離れてみた時はルドルフ・シュタイナーのゲーテヌアムがなぜか出て来た。
階段をのぼって大きなガラスからの光の入り具合とそれが生み出す陰影にも近いものを感じた。
厳密にいうと外観はそれほど似ている訳ではない。
訪れた時間帯や自らのアプローチにたいしての建築物のリアクション(敢えてこう言いたい)に
何か近いものを感じるのだ。

高崎市美術館内に併設された同じくアントニン・レーモンドの旧井上房一郎邸に向かうべく群馬音楽センターを後にする。

先ほど来た道とは少し違うルートで探検しながら高崎市美術館へ戻る。
中に入るとまず旧井上房一郎邸へ。

こちらは高崎の自邸を焼失してしまった井上が東京・麻布にあったレーモンドの自邸兼事務所を
再現しようと図面の提供を受け、少しのアレンジを加え、作らせたものらしい。

イサム・ノグチの照明が違和感なく馴染む平屋の落ち着いた空間である。
平屋とは言っても今の天井は高く、狭苦しさは感じない。
庭を含め、このようなゆったりとした建築は今後、首都圏では生まれにくいだろう。

ひととおり眺めると、ディック・ブルーナ展へ移動する。

ディック・ブルーナはミッフィーの作者として有名だが
今回は彼の手がけたペーパーバックの表紙デザインを多数見れたのが良かった。

気づくと閉館時間の18時まであと15分。
ゆっくりしすぎた。

駅に戻りバックパックをとって高速乗り場に繋がる幹線道路に向かう道をボードを掲げながら歩く。
10分ほど歩いて幹線道路沿いに来たところでバックパックを降ろし、定位置でボードを掲げる。
さらに10分くらいして車が止まってくれる。
小さな男の子を助手席にのせたオジサンである。

10分程車で走ると高崎の高速乗り場の下で降ろしてもらう。
すぐにヒッチハイク再開。
昼間は晴れていたのに雲行きが怪しくなってきた。
東京と書いたボードを持って待つが一向に止まる気配はない。

割と車のスピードが出ているのだが
回りを見る限り、より良い場所があるようにも思えない。

30分が過ぎた頃から空が真っ暗になり連続して光りだした。
いつ降り出してもおかしくない状況。

近くに雨宿りできそうな場所もない。
ここで濡れたら確実に拾ってもらえなくなる。
明日から仕事のため、帰らないわけには行かない。
電車での帰路も考え念のため調べ始める。
21時の電車に乗ればギリギリ帰れる。

そう思っているとポツポツ雨が降り出した。
ヤバい。これは高崎駅に戻ったほうが良さそうだ。

ダッシュで反対側にまわり50mほど走ると小さなバス停があった。
時刻表を見ると1時間に2本あるバスがあと5分で来る。
少し横風が吹けば濡れてしまう小さなバス停で待つ事10分。
バスが来て高崎駅へトンボ帰り。
結局、1時間半を費やして再び高崎駅に。

時間はもう少しで20時。
この天候でヒッチハイクで東京へ戻るのはギャンブルだ。
しかも、明日は休み明けで、いきなり打ち合わせがあるため、休む訳にはいかない。

悔しいけど電車で帰るか。
そう決めて駅の回りを少しだけ探索し、電車に乗る。
途中電車の窓からどこかの花火大会が奇麗に見えていた。
旅の終わりを彩ってくれているように感じた。

5日間という短い期間だけども、乾いた冒険心を潤してくれる旅だった。
すべての乗せてくれた方、心配してくれた方、応援してくれた方に感謝したい。

ヒッチハイクに関する記事はヒッチハイクにまとめてあります。

ヒッチハイクをやってみたいって人はこちらをどうぞ。テクニックなどをまとめてあります。
ヒッチハイクを始めたい人のためのヒッチハイクマニュアル完全版

ヒッチハイクマニュアル

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterでgappackerをフォローしよう!

 この記事のタイトルとURLをコピーする