僕がヒッチハイクを始めたワケ。

2011年12月30日
2016年3月30日
gappacker
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最近よく会った人にヒッチハイクの話をするんですが
必ず聞かれるのが「なんでヒッチハイクなんて始めたの?」ってことなんですね。
自分なりには必然的にそうなったのですが、なかなか説明するのが難しいので文章にしてまとめてみようと思います。

ヒッチハイクを始めたのは今年のゴールデンウィークでした。
これまで海外では、流れで車に載せてもらった事は何度かあるものの、最初からヒッチハイクするつもりで家を出たのは、この時が初めてです。

ご存知のように今年は震災があり、いつもとは違う気持ちでゴールデンウィークを迎えることになりました。
海外に行こうと思ったりもしたのですが、何か気持ちが悪い。

その気持ち悪さの根底にあるのは
地震がまた起きるのではないかという不安、そして原発に対する先行きの不透明さ、そして、被災地であらゆる苦しみや不安と闘っている人達に対しての後ろめたさでもありました。

原発事故後は自分なりにいろいろと考えました。
今の利権構造が長い期間をかけ、狡猾で悪知恵の働く人達によって作り上げられた強固なものであるとはいえ、自らの無知と無関心がその利権構造を後押ししていたことは自明です。

これまで予定を決めずに数ヶ月間の一人旅をしたりしていました。
それができるのは、日本という「帰るべき場所」があってのことだったんだ。
小さな島国である祖国が放射能により死の土地となり、住めなくなるかもしれない。
そんな想定をせざるをえない状況になって、初めてそう思いました。
神奈川で生まれ育った自分にとっての「日本」。
それは西は兵庫まで、北はスノボで行った新潟までの「日本」であり、あとはテレビでしか見た事がないものでした。

そんなこともあり、まだ見た事のない日本を観に行こうと思いました。
しかし、日本を旅しようにも、電車でどこか行くというのは、それはそれで退屈であり
同時に乾いている冒険心を満たしたいという欲求もありました。
そして、ヒッチハイクで旅に出たら、この日本もまた違って見えるかも知れないと思ったのでした。

そんなこんなでヒッチハイクの旅をすることにした訳ですが
実は出発当日の朝まで、東北に行くか、西に行くかで迷っていました。

被災地に向かったとして、自分は本当に役に立てるのか?
ただの冷やかしになりやしないか?
自分にとってのプラスだけを考えてないか?

正直言って、自信がありませんでした。
ボランティアに行って現地の人に送られた支援物資を浪費し
逆にお世話になって帰ってくるだけのボランティアがいるという記事も見かけました。

装備も経験も特殊技能もない自分が正義感や使命感だけで被災地に向かう事が正しいことなのか、本当に迷いました。
今でも何が正解かはわかりませんが、結果的に目的地は選択肢のもうひとつであった広島にしました。
原爆について考えるきっかけになるかと思ったからです。
そしてどこまで行けるかわからないけど、行けるところまで行ってみようと思いました。

どこまで行けるかはわかりませんでしたが、出発日翌日の朝方に岡山に着いた時点で、予定は組めないけど、行けない事はないと感じていました。

結果的に最初のヒッチハイクは倉敷、広島、博多と訪れることができ
ひょんな事から一緒に観光したり、現地情報を聞いたりと楽しく過ごす事もできました。

まだまだ来年も日本再発見的な感じでヒッチハイクは続けると思います。
以上が今年中にどうしても書いておきたかった「ヒッチハイクを始めたワケ」でした。

ヒッチハイクマニュアル

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