MORI ART MUSEUM「メタボリズムの未来都市展」を観に行って来た。

2011年9月25日
2015年12月11日
gappacker
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六本木ヒルズの森美術館で開催されているメタボリズムの未来都市展を観て来た。

メタボリズムは1959年に黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動。新陳代謝(メタボリズム)からグループの名をとり、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。日本における「現代建築」の端緒であると見られている。
-wikipediaより

高度経済成長期の日本にあって、様々な分野での市況が活況であったであろうこの時代。
建築界からも若手の有能な人達が世界に向けて発信していた。
今の建築界でイニシアチブを取り、このような発信をしている建築家は果たしているのだろうか。
誇大妄想的ではあれど、本気で国や社会を、ライフスタイルを作ろうとしていた人達がいる。

建築界での評価はよくわからないが、都市計画のプラン自体は実現出来なかったであろうし、出来なくて良かったと思えるようなものが多い。
メタボリズムという思想が単純に規則性を持って増減するだけのものであれば限界があるだろうし、そこに暮らすであろう人々から創造性の源を奪ってしまいそうな無機質な空間に対する不安もある。

これまで世界20ヶ国くらいの何十という都市を歩き回って来たが、
もともと何もないところに計画された都市や区画ほどつまらないものはない。
そこには歴史も文化も、人の繋がりも生活感もない。
そして、そういう場所には、人が集まらないのだ。

もちろん巨大建造物によるファースト・インパクトは相当なものである。
ただし、そのスケールに慣れた途端、感じるのは無機質の連続した変化のない空間へのストレスばかりである。
それは”作られた”都市に共通して感じるmuteされた、感情を失ったような町並みであり、コンクリートで固められた工業団地から感じるものに酷似している。

運動が始まった頃の時代が丁度、ベビーブーマーである「団塊の世代」が10代前半ということを考えると
人口増加に対しての解決策の提示は不可欠であったことが伺える。
それどころか、少子化が起きるであろう事など微塵も考えていなかった可能性すらありうる。

また、莫大な予算がかかりそうなプランに関しては高度経済成長期の幻想によるものであろう。

都市計画がなく、無秩序に発展した街には、非効率であるが故のエネルギーを感じることがある。
もちろんそのような街は多数の問題を抱えていることも少なくない。
しかし地域の住人などが、その問題点を解決し、発展していく段階こそが真のメタボリズムであるようにも感じられる。

メタボリズムという建築運動自体に矛盾と疑問を感じるとともに
大阪万博までの高度経済成長期の時代のダイナミズムを感じられる展覧会であった。

今の日本でこのような計画を提言し発信する人はどれだけいるのだろうか。
時代が後押ししたとは言え、今の時代には今の提言があるのではないか。
もしかしたら今の時代では大型の都市計画プラン自体がそもそも荒唐無稽であり、無数の小さな提言や運動が起きているのかもしれない。

森美術館からミニチュア模型のように見える町並みを眺めながらそんなことを考えていた。

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