[映画] 孤独と不安、ぼっち体験の最上級『ゼロ・グラビティ』

2014年6月7日 gappacker
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ゼロ・グラビティのあらすじ

サンドラブロック演じるライアンが宇宙空間での作業中に事故にあい宇宙空間を彷徨うことになりながらも試行錯誤しながら地球への生還を目指す話です。

可能であれば大きなスクリーンで観たい作品

公開当初、劇場で観たほうがいいという話は聞いていたし、その時は確かに劇場で観ようと思っていました。しかし、というかやはり、上映時間は夏休みのように早く過ぎ去り、気がついたら公開期間はとうの昔に終わっていたのでした。

僕はDVDで観たのですが、劇場で観たほうがいいという理由に納得しました。
宇宙空間の壮大さと、そこに漂う人間のちっぽけさを疑似体験するには大きなスクリーンのほうが効果的なんですね。

映画を観ての感想

手がかりもなく宇宙空間に放り出された時の感覚。
すぐに思い浮かんだのは、ヒッチハイクで人も車もいない空間に長い時間居た結果、日時も変わってしまい途方にくれている時の、あの得体の知れない寂しさと心細さです。ヒッチハイクの場合は、待っていれば必ず朝はやって来るし、寒ささえ凌げればいいわけなので、比べようがないほど楽ではありますし、最近ではその感覚ですら薄れてきています。

それよりも、もっとあの感覚に近い体験はなかったかと、思い返した時に、過去の経験の中で、近い感覚のものが一つだけ思い浮かんだ。
それはオベンティックを訪れた時の話の帰り道でのこと。

2008年、僕はメキシコのサンクリストバル・デ・ラス・カサスから乗り合いバスとは名ばかりのハイエースを改造した車に、現地の人達と一緒にギュウギュウ詰めにされ、武装組織サパティスタの活動拠点の村『オベンティック』を訪れた。

村を見学した後にサンクリストバル・デ・ラス・カサスに戻ろうと、バス停のようなもので待っていたのだが、一向にバスが来る気配はない。土地勘の全くない、英語もほとんど通じない山の上で、辺りは深い霧に包まれていた。
そして霧は晴れることもなく、ただ時間だけがゆっくりと確実に過ぎていく。
小一時間待った後、このまま暗くなるのだけは避けたいと思っていた矢先、たまたま通りかかった車を止め、必死でサンクリストバル・デ・ラス・カサスに戻りたいことを伝える。伝えると言っても、英語をローマ字読みしたような、ブロークンにすら至らないスペイン語もどきではあったのだが、ここでも本気は伝わった。

道中、彼にはしきりに燃料を気にしていたので、降ろしてもらった際に幾らだったかは覚えていないのだが、ガソリン代に相当すると思われるお金を渡し、感謝の気持ちを伝えた。
サンクリストバル・デ・ラス・カサスに着いた時、僕は生還したという安堵感につつまれていた。
たとえそこが、まだ数時間しか滞在していなかった場所であったとしても、人は場所になじみ、愛着を抱く。
そしてそれは時に依存とカタチを変え、場所を守るという名目のために排他的になってしまったりもする。

思いがけず、思い出のトリガーとなった作品ではあったが、この映画自体に何らかのメッセージ性があるかというと、おそらくそういう類いのものではない。宇宙空間の前ではそんなメッセージすら、塵くらいのものでしかないと思わせるリアリティのある映像体験を黙って体験してほしい。

この映画の魅力を全然伝えられていないのだが、決して退屈な映画ではないし、興味のある人は観て欲しい。
可能なかぎり、大きなスクリーンで。

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