[映画] サスペンス映画の名作、サイコ誕生の裏側と『ヒッチコック』

2016年4月21日
2017年6月8日
gappacker
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ヒッチコック

名作サイコを通して描くヒッチコック

サスペンス映画の監督の名前をあげろと言われたら必ず名が挙がるであろうヒッチコック。
そんなヒッチコックの作品の中でも最大のヒット作でもあるのが1960年に作られた名作『サイコ』であり、その製作の背景を通して、ヒッチコックを描いたのが本作『ヒッチコック』だ。

予告編はこちら

映画を観た感想

サイコは苦難の中、生まれた

サイコは連続殺人犯を描いた作品であり、映画配給会社のパラマウントは製作に反対し、製作資金を出すのを渋った。
それだけではなく、当時のアメリカは規制が厳しく、サイコの代名詞ともなった有名なシャワーシーンや、トイレを映すことなどについて映倫から物言いが入った。
そんな中で、ヒッチコックは自宅を担保にサイコを撮ることを決める。

妻アルマの存在

ヒッチコック夫人、アルマ・レヴィルはヒッチコックの影に隠れ目立たなかったが、助監督、脚本家、編集技師としてヒッチコックを支えていてサイコにおいても大きな役割を担っていたように描かれている。そこにはなんらかの軋轢や愛憎があったことが描かれている。

天才か?ただのパラノイアか?

ところどころでヒッチコック自身がパラノイアであったり、偏屈であったりというような演出があり、映画の中のシーンには妻の浮気を疑ったり、女優に対する独占欲をこじらせたような心理状態が作品の中に反映されていて、それがサイコの撮影と重なるようになっている。当然のことながら事件は起きないのだがそれがサイコの映画に繋がっていくような感じである。

真実のところはわからないが、サスペンステイストでヒッチコックを描くという意図はあまり上手くいっているようには思えないし、エンターテイメント映画として見ても盛り上がりに欠ける。では、ヒッチハイクという人物を正しく理解するための作品としてはどうなのかというと、それには過度な演出が入っていて、その目的に適しているとも思えない。

正直、映画で何を見せたかったのかってところがちょっと見えにくい作品ではあった。
ヒッチコックは、癖があって構ってちゃんな面倒くさいおじいちゃんだったんだろうなぁと思いを馳せながら話半分に見るのがいい映画なのかもしれないと思いつつ、実はヒッチコックの作品は数えるほどしか見てないので、ちゃんと見直してみようと思いました。

あと、サイコをヒットさせるための仕掛けというかマーケティング的な試みについては知らなかったので面白いと思いました。

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