[書評] エッセイストによるエッセイの話『エッセイ脳』

2016年9月8日
2017年5月16日
gappacker
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エッセイ脳

エッセイとは何か?

エッセイストである岸本葉子氏によるエッセイに関する本。

ちなみにエッセイとは何かwikipedeaで調べてみると下記のような説明がある。

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai[1], 英: essay[1])等ともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。
ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることが多いが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることが多い。
– ウィキペディアより –

エッセイの定義

著者はこの本の序盤で、エッセイとは自分の書きたいこと他人が読みたくなるように書いたものだと定義している。
なるほど確かにエッセイとはそういうものかもしれない。

そのうえで、他者が読みやすくするために

  1. 読みやすい文章であること
  2. 興味が持てる題材であること

がとても重要なのだそうだ。

優れたエッセイを書くためには、言葉の選び方であったり、伝え方であったり、話の展開や構成であったりと、気をつけていることが少なくなく、それらのテクニックが序盤からどんどん深掘りされていくことになる。

本を読んだ感想

エッセイというのはコーヒーを飲みながら鼻歌まじりで書いていたり、あるいはその時の時事ネタについて、勢いに任せて書ききったりというような、呼吸をするように書かれている文章、ある意味で感覚的な文章だというイメージを持っていた。

もちろんそんな簡単に行くわけはないんだろうけども、ジャーナリズムから伝わってくる鬼気迫る緊張感や、淡々と目に映る物事を描写していくようなルポタージュのような作風とは異なり、エッセイにはどこか気の抜けた感じがある。そして、話を多少大袈裟に書いたとしても許されるような雰囲気がある。

街で見かけた変なおじさんの話とか、牛丼の食べ方に対する自分のこだわりとか、季節の風物詩に関することだったりとか。(全部思いつきです。)

そんな風にして「自分でも書けるんじゃないか?」的な勘違いを起こしやすい距離感にある文章がエッセイだったりするのですが、この本を読んでみると、簡単そうな文章も実はいろいろと練られ、書かれているのがよくわかる。

あー、そうか、やっぱりプロの仕事は違うのね。
まずもってエッセイにはテーマや題材があり、プロはそれをある程度指定されたうえで、ちょうどいいボリューム感で収まる文章の構成を考え、かつ楽しませることが求められるわけだ。イチローがヒットを簡単そうに打つが、ひょっとしたらエッセイも同じようなものなのかもしれない。

自分でもエッセイくらい書けるんじゃないかって思ってるしまってる僕みたいな人は、この本を読むとエッセイに対する見方が少し変わるかもしれません。

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